楽譜が読める ということ。 

自分なりに、「楽譜が読める」ということについて考えてみた。



やさしいピアノソロ 菅野よう子 作品集 (やさしいピアノ・ソロ)
シンコーミュージック
河本 芳子


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私は小学校の頃にヴァイオリンとビオラをやっていたけど、
それは小学校のなかにあったオーケストラでひいていた
だけなので、特に音楽的な教養は学んでいません。
(ハニホヘトの概念すら教わらなかった。)
だから楽譜はさっぱり読めません。
でも、楽譜を見ながら演奏することはできます。
5本線が書いてある上に○や●(おたまじゃくし)が書いてあるけど、
それはヴァイオリンの4本ある弦のうちのどの弦の
どの場所に指をおいたらいいのかがわかるだけで、
その音がどの音か、まではわからないのです。
(この楽譜の音と同じ音を声に出してごらん、といわれたら無理)


“楽譜が読める”ということは、5本の線の上に載っている
●やら○やらのおたまじゃくしを見て、その音がどの音なのか
(ラらのかドなのかシなのか)がわかる人のことを
言うのだと思っていました。
でも最近、プロの現場にいる人の
「楽譜読めるといいながら、読めない人が~云々」の発言や、
十数年音楽の業界にいるのに「私楽譜読めないから」
という歌い手さんの発言を聞いてるうちに
そういうことではないのでは?と考えるようになった。


たとえば、私たちは日本語を読める。
「あいうえお」と書いてあれば「あいうえお」と読める。
「よごれちまったかなしみに」と書いてあれば
「よごれちまったかなしみに」と読める。
5本の線の上に載っている●やら○やらの
おたまじゃくしを見て、その音がどの音なのか
(ラらのかドなのかシなのか)がわかる人というのは、
ただ、どの音なのかがわかるってだけの人なのではないだろうか。

いわゆる現場で求められてる楽譜を読む力(楽譜の読解力)は
「書いてあるおたまじゃくしが曲のなかでどのような役割を
担っているかわかる」なんじゃないだろうか。本で言うところの
「声にだして読める」のと、「主人公の心情や状況を理解した
うえで声に出して読める」の違いというかなんというか。


例えば「よごれちまったかなしみに」というこの一言を、
思春期の少年が目じりをキラッとさせながら・・・な感じに読むのと、
NHK教育のにほんごであそぼうのちびっこ風に読むのと、
60近いロマンスグレーのおっさんがタバコの煙を
ぷふ~ってやって最後にぽそっと言う感じで読むのでは、
文章から受ける印象がまったく違うように、
楽譜も「どう演奏するか(歌うか)」まで読めてはじめて
“楽譜が読める”といえるのではないだろうか。
(上の三つのシュチュエーションを想像しながら、声に出して読んでみよう!(・∀・)
私は最後のロマンスグレーバージョンが好きだ)



楽譜上には、多くの記号があります。
中には「愛らしく」だとか「楽しげに」だとか
「情熱的に」といった記号もあります。
愛らしくひとつでも、幼女がおねだりするときのような愛らしさなのか、
ネコのようなちょっとツンとした愛らしさなのか。
情熱的なのも、若くて周りが見えない恋愛の情熱なのか、
匠の仕事のような一点にかける情熱なのか。
なが~い楽譜のなかのあのおたまじゃくしの羅列から、
そのフレーズをどのように解釈して演奏する(歌う)ことができるか。
それが、現場で求められている楽譜を読む力なのではないか?と。




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この記事へのコメント

2010年10月23日 00:52
強調してるくせに
わかりづらい…(^-^;)

自分の“書く力”の無さにガッカリだ。

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